『豆州志稿』の復刻に寄せて
下田市史編纂委員 高橋廣明
秋山文蔵(富南)の『豆州志稿(伊豆志)』は、寛政十二年(一八〇〇)に編纂された伊豆を代表する地誌で、伊豆研究の基本的な書物の一つである。
富南は、君沢郡安久村(現三島市)に生まれ、十代前半の多感な時、当時三島に隠退していた伊藤仁斎門下の儒学者並河五一(誠所)の薫陶を受け、彼の没後は、しばしば秋山家を訪れていた白隠禅師に師事した。
伊豆志編纂の契機については、並河の『畿内志』編纂や老中松平定信一行の相豆海防見分ともいわれるが、『伊豆志』編纂を思い立ち群書を渉猟し始めたのは、還暦をはるかに過ぎた六十七歳(寛政元年)の時であった。
数年間の資料蒐集の後、既述の記録にあきたらず、現地に資料や史実を求めて伊豆の各宿村を廻り始めたのは、古希をとうに過ぎ、喜寿に手が届こうという七十五歳の時であった。旧知の韮山代官江川氏を通じて廻村許可を得た一行四、五人は、以降、広く伊豆国内を遍歴調査している。現在、伊豆各地に残る文蔵宛文書の写しはこの時の史料であろう。
そして、寛政十二年、翁七十八歳の春三月、ようやく完成をみた『豆州志稿』十三巻が幕府に献上され、富南には賞詞と白銀十枚の下賜があった。
のち、明治に至り、『豆州志稿』は君沢郡小坂村(現伊豆長岡町)の国学者萩原正平・正夫父子の尽力によって、『増訂豆州志稿』として出版された。全巻の刊行は明治二十八年のことであった。
しかしながら、現在、秋山富南が編纂した原著のままの記述の閲覧を望む声も多く、この度の完全影印復刻は、底本は写本といえども待ち望まれていたものである。富南翁の業績の再顕彰ともに、万一の原本(写本)喪失にも備えられるこの刊本が、広く各地の図書館や研究者の元に残り、後世に伝えられる事を望むものである。
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